2005/09/16

ホワイトバンド

ホワイトバンドというものがある。
1つ300円の白いブレスレットを買うと、
その何割かが貧困者への募金につながる仕組みになっている。
このブレスレットが世界の貧しさに手を差しのべた証拠となり、
それをつけている人間は世界の貧しさに関心を持っているという仕掛けだ。
著名な人物が続々とこのプロジェクトに参加し、宣伝に一役買っている。
いわゆるチャリティなのだが、これが今すごい勢いだそうだ。
金額設定も1つ300円という手軽な所が効いているのだろう。
1000円となるとなかなか手が出ないと思われる。

これを仕掛けた奴はかなり頭が良い。
「募金すべきである」
というイデオロギーに訴えるのではなく、
ファッションという個人のセンスの部分にアプローチしている。
「あの有名人がつけている白い腕輪が欲しいの!」
という輩を続々と作り上げ、そしてそれをつける事が
「貴方の個性、そして貴方の主張」
であると結論づける事で続々と募金額を集めてゆく事が出来る。

ファッションの世界では「個性」という言葉を巧みに使い、
自分達の作り上げた偶像の亜流を世に多く作り出しているが、
所詮その世界で言われる「個性」は他人が作り上げたものだから、
本当の意味での「個性」ではないよな。
「個性」は他人が作るものではなく、自分から滲み出るものを
他人が評価する事で初めて成立するものと自分は思っているので、
「個性的な私」
という言葉には常に違和感を覚える。

だが、このアプローチに皮肉めいたものを感じているのは自分だけだろうか。
ファッションやアクセサリーに関心を持てるという事は裕福な証拠。
裕福である事を謳歌する行為がその人の気持に関係なく募金につながっている。
募金を集める側としてはその人の「募金しよう」という気持は
ぶっちゃけどうでも良く、お金さえ集まれば良いのだから。
「ザマぁ見れ」という声が聞こえて来そうな気がするのだ。
さらに言えば、普段は「募金しよう」などと思わない輩に募金させ、
「私もほっとけないの!」
と主張させてしまうわけだから恐ろしい。
いや、「恐ろしい」ではなく「素晴らしい」と考えるのが普通なんだろうな。

ホワイトバンド、実は自分も一つ持っていたりするのだが、
上記理由からこれをつけて歩く事はしない。
決して腕が太くてつける事が出来ないからではない。決して。

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