2009/02/16

2009/02/16のダメ人間模様

「脳力の衰えに、ただただ恐怖する。」

本来なら「ダメ人間のサーキットレッスン体験記総括」なのだが、
ダメ人間のため案の定まだ総括出来ていない。俄然出来ていない。
実はそれ以上に書き残さなければならないと思える事がある。
そのために、まさにそのために今回の投稿を割く事とした。

自分は物事を考える時、それがどんな内容であれ、
頭に文章が浮かぶ事はほとんど無い。
どんな事もイメージ化された何かがパッと浮かび、
それと関連する事柄がやはり何らかのイメージとして浮かぶ。

「こうすべきだ」という結論に達する時、
「こういう事なのだ」と理解した時、
「こうすればいいんだ」とアイデアが生まれた時などは、
その内容がより具体的な映像となって頭に浮かぶ。
その結論によって辻褄の合う全ての事象が映像として。
その理解を得た過程に登場する全ての因果関係が映像として。
そのアイデアによって新たな価値が生まれる姿が映像として。

この話をすると大概驚かれるのだが本当なのだから仕方が無い。
「一体どんなイメージか紙に書いてくれ」と言われるのも困る。
それは自分の中で「イメージ化された何か」であり、
形を成しているようで成していないのだ。
自分の中であまりイメージが出来上がっていないものは、
イメージが出来上がるまでじっくり待つ。マイペースに幸あれ。

では自分にとって言葉や文章は何かというと、
「イメージ化された何か」を変換し相手に伝えるための、
また何かを捉え「イメージ化された何か」を作り上げるための、
ある程度共通化された手段、手法、規約の様なものと捉えている。
なので「何について書いているか・話しているか」という粒度まで含め、
ある程度の共通化が見出されていないと実はかなりイラつく。
たとえその内容がどんなくだらない事でもだ。
「無意味」と「意味消失」は明らかに違うのだ。
イラつきはなるべく隠してるけどね。出すとガキっぽくね?

そんな「イメージ」で考える自分は、
とある人物の名前を聞いたとしても、
その人物の映像を知っていれば、
瞬間的に必ずその人物の映像が頭に浮かぶのだ。
そう、必ず頭に浮かぶはずだったのに。

つい先日、こんな事があった。
「篠山紀信の息子」の顔を思い浮かべようとしたが、
どうしても頭に浮かんで来る映像が「野口健」だった。
暫くするとようやく浮かんで来たのだが、
うっかりすると「野口健」と区別が着かない映像だ。

もっとひどい事があった。
「橋田壽賀子」の映像が一切浮かんで来ない。
何度思い出しても一切浮かんで来ない。
ついに耐え切れずGoogle画像検索で確認した。
そうだ。。。こんな顔だったよな。

ついに名前すら出て来なくなった。
友人とフレットレスベーシストの名手を列挙していた時。
オレ:「ジャコ・パスよなぁ。」
友人:「ピノ・パラディーノなぁ。」
オレ:「スティーブ・ベイリーは曲芸系かなぁ。」
友人:「あとほら、えーと、、、あれ、BRAND-X のヒト。」
オレ:「あー居た居た、こないだ観た、六本木のライブハウス。」
友人:「あー出て来ない。名前出て来ないぃー。」
オレ:「あれだよ。イスラエルの前衛舞踏家とコラボしたヒト。」
友人:「何それ?そんな事やってたの?」

。。。「パーシー・ジョーンズ」だ。

以前観た若年性アルツハイマー患者の映画「明日の記憶」を思い出した。
。。。恐ろしい。。。ただただ、恐ろしい。。。
明日の自分が、今日の自分を覚えていますように。